米国のネットは確かに「人生にとって必要なインフラみたいなもの」として、すなわち人間の役に立つ”ツール”として使われているが、実のところこれは、人間を情報の素子に解体しようとする志向を持った「テクノロジーの”意志”」に対する米国社会の「抵抗」に他ならないのである。
一方で日本では、そのような「抵抗」がとても弱い。つまり、テクノロジーの”意志”に従順な”馬鹿”が多いということで、その結果、「世界の一歩先をいっているネット先進国」になっているのだ。
この「抵抗」の弱さは、社会の弱さによるものである。
—テクノロジーの”意志”に従順な日本社会 - 瓶治郎の現代詩 (via tsuda) (via syoichi) (via usaginobike)